日本の『食』に思う事
以前「日本って幸せなんだろうか?」というタイトルで社会環境に焦点をあてましたが、今回は、日本の食について思うところがあります。
やはり、真逆に在るイタリアとの比較で。
誰もが認知していることとと思いますが、今日本では農業、畜産業が空洞化し、食が危ない状況にあります。
毎日、スーパーに行けば大量の生鮮品や加工品が並んでいるし、土曜の丑の日や恵方巻などシーズンによる催しの時はそれを演出する商品が山のように売られている。
そんな光景を見れば、いいくら危険信号を発しても自分に身に降りかかるとはにわかに信じられないでしょう。
そして売れ残ったものの廃棄量はコンビニも含めると社会問題にすべきほどのレベルと報道される。
そんなニュースでも流れれば、かえって個人レベルの問題ではないと棚に上げ、身の回りに押し寄せてきている食の危機的状況は鈍感になってしまうかもしれませんが、実態は極めて深刻だと思います。
輸入食品の農薬問題をはじめ、ずさんな食品会社の衛生管理などによって過剰管理で招く高価格化と素材に対する問題はモノの価値観を複雑にしている。
又、すっかり変わってしまった日本の食卓の風景。家族団欒などもう死語になってしまった気がしますが、スナック菓子を食事と思い、栄養はサプリメントで摂るといったありえない世界の現実化は生活の根幹すら揺るがしている。
イタリアに旅行した人は大体「料理が美味しかった。日本で食べるパスタとは全然違う」と口を揃えて言う。
何故だろうと思う傍らで、答えは簡単だと気付く。
日本でも、地のものと流通後のものとでは全く味が違いますね。今や日本は全国どこにいても大概の地方のものは買えるし食べれる。これを便利とする代わりに本当の舌を無くした。
【イタリアの食に対する姿勢はとても保守的】
昨今では働く女性も増え、その分家事に手が回らない家庭も増えているようだが、それでも料理だけは手放さない。
どんなに忙しくても、マンマ伝統の味を頑固に守り、子供たちに伝え、それぞれの家庭の味を誇る。
変えてはならないことは、誰がなんと言おうが頑として守る。イタリアサッカーの強固な守備は彼らの本質なんだと理解できる。
【イタリアの食は自然で、必要なものを必要な量手作りするのが基本】
又、自家製、手作りに徹底的にこだわり、やはり家庭の味を大切にする。
スーパーも日本のような大型店が少なく、大量生産の必要もないため、添加物も保存料も必要ないというごく自然なサイクルになるという理屈だ。
そもそも家庭料理が最高とする考えは結果革新的な刺激を必要としない。他国の料理が食べられるレストランがあまり存在しないし日本のようなデパ地下も存在しない。
色んなものが食べれることは一方で食文化の豊かさと捉えられる側面もあるので一概に良し悪しは言えないが、忙しい生活によってファーストフード化した日本の食卓、料理にも家事にも時間がさけないという現状を肯定する風潮はいかがなものか。
取りも直さず、人のつながりは食卓からという志向は、我々が無くしつつある大きな財産であることには違いない。
日本の自給率はわずか40%足らず。先進国の中でも最低推移。まだまだ下がる。
イタリアも決して高くはないが59%はある。
イギリス71%、ドイツ93%、アメリカ120%、フランスに至っては136%
やはり、食事に対する意識のウェイトが低いのはここに原因があるのかも知れないが、気品高くエレガントな生き方をするという信念に他ならない気がする。
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