クラシック or  ロマンティック

 いつの時代もきっとそうなんだろう。


現代の歌は何を聞いても心に刺さってこない。


現代の映画は心躍らない。



私は昭和生まれ。


アイドルの歌でさえ、今聞いてもメロディや歌詞に工夫がある。

テレビや映画などの映像の世界でももっと情緒豊かだった気がする。

勿論、子供の頃の遊び道具は多種多様。

今のようにネットがなかった分、遊び方も外交的だったのは違いない。



そう言えば、つい先日久々に「UFOネタ」の番組に遭遇した。

まだ、こういうの、やってたんだ~と少し嬉しくなった。

今思い起こせば、当時の放送はアホくさいの茶番だったが、「UFOは存在する、しない」「私は宇宙と交信できる」と豪語する自称研究家が力説してた。


「超能力」の世界なんてのもあったっけ。

人間の奥深さと可能性を子供ながら、ドキドキしてみてた。

後になって、あれはトリックと聞かされても別に腹が立たない。

当時のトキメキというか、衝撃は今となってはいい思い出だから。


日常の生活の中で抱く願望や欲がやがて進歩に繋がる。それが進化。


将来、一人一人が電話を持って交信できるようになるなんて思わなかったろう。

タイプやワープロで手書きでない書類を作る事ですら鮮烈だったのに、よもやパソコンなんてものが生まれるとは考えもしなかったろう。


だから、多分考えていたんでしょうね。

「こうなれば便利なのに…」とまるでSFの世界を夢見るかのように。


それだけ、昭和は発想の種に溢れていたからこそ、そのオリジナリティが今でも「レトロ」として多くの眼に止まり、話題にも成り得るのだと思う。


進化している以上、今より昔が良いという不純な発想は持つべきではないのだろうが、現代は全てにリアリズムが求められる。

複雑なフィクションの中でリアルを見抜かなくてはならない現代は生身の人間にとっては酷なことが多い気がする。



過去を理想化するのは、今の時代が病んでいる証拠だとする一説もあります。

右肩上がりの希望を持つことができた時代、隣近所のお付き合いが成立していた時代に対するノスタルジーを餌に出来上がった大衆的な価値基準だと…。


そうかも知れませんね。


キャッチボールをしてて、誤って暴投が近所の窓ガラスを割ってしまっても、逃げちゃえ!

今はそうはいかないかも。防犯カメラで見つかっちゃうかも(;´・ω・)



今、小学生の間では腰痛が問題なんですって!

(驚きです)


そんでもって、ランドセルの必要性を問われてるらしい。

(もっとビックリです)


モノが人の進化に邪魔なのか、はたまた人がいろんなモノに耐え得らなくなっているのか…。




進化の速度が速いから、少しリラックスして時間を楽しみたいものです。



お~、そう言えば、「ネッシー」は未だ生きてるかな?



Hiroya Nagawa's Ownd

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