自省の念に基づいて

「仕事をするうえで中庸であることは大事なんで~」


会社勤めをしていた頃に上司から言われた言葉です。


★中庸:かたよることなく、常に変わらないこと。過不足がなく調和がとれていること。また、そのさま。「中庸を得た意見」「中庸な(の)精神」


若気の至りと言えば言い訳になるが、この頃の私は言葉の意味を間違えていた。


問題提起しても、自分の意見を上申しても何の判断もしない上司像に煙たさを感じながら受けたこの言葉は“何も白黒はっきりさせることはない、真ん中を取れば楽だ”と聞こえた。


当時、盛田昭夫/石原慎太郎共著「NO(ノー)と言える日本人」という人気の著書があった。

一向に問題解決しない暗澹たる状況に一筋の矢を投じたような衝撃は自分の浅はかな知恵を無造作に後押ししたことは間違いなく、「正義感」そのものだった。


会社という組織はその辺りがとても分かりやすいですね。

階層があり、これはすなわち「責任の所在」

当然、位が上であればあるほど、取るべき責任の重さが違う。

ただ、責任の取り方というのは最後の顛末、引き際という意味では決してない。


「俺が全責任を持つから思う存分やってみろ!」


漫画に出てくる理想の上司像だが、軽んじることなかれ。


これが魅力的に感じるのは、事の前向きな進行の過程での責任を明確にしているから心に刺さるのであって、何も、最初から失敗するとわかっている行為に責任を背負う馬鹿はいません。



結果、自分で造り上げた思想は、何事にもイエスマンにならないこと。

自分の意見をぶつけるのはより優位的、有能であるはずの上司。


歯に衣を着せず、自分の意見をぶつまける様子に部下たちは一目を置いた。


実はここが間違っていた。

言った側はスッキリするが、後々険悪になった状態で物事がうまく進むわけはなく、本来成就しようとしていた仕事もやりづらくなる。


「社会は生き馬の目を貫く戦場のようなものだ」とか、「男は外に出れば7人の敵がいる」などと言われたものだが、「7人の味方をつくる」ほうがよっぽど知的である。

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